大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和33年(う)42号 判決

被告人 杉田好文

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

所論は、要するに、本件高津橋落橋の事故はすべて森本運転手の重大な過失に基因するもので、被告人に過失の責がない旨主張するに帰する。

よつて所論に鑑み記録を精査するに、被告人は奈良県技術吏員で、同県土木部十津川土木出張所工務課に勤務し、上野地方面担当主任として、上司の監督のもとに、受持区域内の河川、道路及び橋梁等の土木設計施行監督とこれらの保全業務に従事していたものであるが、その担当区域内所在の高津橋(鋼線ケーブルを親線としその張力により橋重を支える吊橋)は昭和二年七月竣工以来既に約三〇年(本件事故は昭和三一年八月一一日)を経過して各所に腐朽を来し、諸車通行の際には振動も甚だしく、危険状態にあつたため、県当局においても所轄十津川土木出張所の具申に基き架換の必要を認めたけれども、国または県財政の都合上予算に計上される運びとならず、そのため昭和三〇年一二月頃より本件吊橋を通過する諸車の重量制限を行い、諸車は空車徐行すべきものと定め、(本件国道通過の諸車の空車自重は四屯以下であることを見て定めたもの)、橋のたもとに奈良県名義の空車徐行の標示柱を立て、通行諸車に対し右制限を遵守するよう要請して来たところ、昭和三一年八月一一日午後三時二〇分頃、自動車運転手森本京二が前記の如く空車徐行の交通制限実施中であることを知りながら、これを無視し、最大積載量五屯のトラツクに七、九五屯の材木を満載し、トラツクの自重三、三三屯を加え合計一一、二八屯の重量を以て高津橋を渡ろうとし、南たもとより同橋上を約一〇米進行した時に、同橋親線二条の中の一本が自動車の重量に耐えず、前記ケーブル線根幹部の腐蝕地点で断線したため、吊橋と共に右自動車が約一〇米下の溪谷内に転落し、同乗の小林昭春外二名をして死傷に致らせたもので、従つて本件事故は前記森本運転手の重大なる過失に基因することが明らかである。

しかし、右自動車運転手の過失が被害を招く主なる原因であるとしても、いやしくも橋梁保全の責任ある被告人の過失も事故発生の一因をなすものと認められるならば、その罪責を免れないものと解すべきところ、この点に関し、原判決は、「被告人がその職務に基き右吊橋を特別慎重に巡視をし、親線根幹部へも至り、土砂埋没の有無、腐蝕場所など破損箇所の異常発見に努め、右吊橋の保全に遺漏のないよう注意すべきにかかわらず、安全と軽信し、親線北岸根幹部の巡視をせず、該所メインケーブル線の約四米土砂に埋没した部分において、ケーブル形成の細鋼鉄線が腐蝕し、自然断線寸前の危険状態にあることを看過すると共に、前記空軍徐行の重量制限標札が従前紛失したのを放置していたため、危険発生のおそれのある吊橋上を制限違反積荷車馬に通行の余地を与える結果を招いた」旨判示しているので、果して被告人の過失が事故発生の一因をなしたか否かについて検討する。

なるほど、被告人が従来右吊橋の親線北岸根幹部を堀返して見分したことがなく、その土砂埋没部分の細鋼鉄線が腐蝕していたことを発見していなかつたこと及び本件事故発生当時空車徐行の標識が標柱よりもぎ取られたままになつていたのに気付かなかつたことは、原判示のとおりである。

ところで、司法警察員服部賢一作成の昭和三一年八月一四日附実況見分調書、同人の原審及び当審公判廷における各供述、久徳潔の原審公判廷における供述記載等によると、本件事故発生後、高津橋の親線北岸根幹部の土砂埋没部分を堀返して見分した結果、親線の鋼線ケーブル線七本の大部分が赤錆びて腐朽切断されており、右ケーブル線七本を構成する合計九三一本の細鋼鉄線(ケーブル線一本は、一九本の細鋼鉄線を撚り合わせたものを更に七本撚り合せたものでできている)のうち九五本はその切断面が新しく光つており、その他の切断面は錆びて黒く先が少しとがつていたことが認められるが、前記ケーブル線を構成する細鋼鉄線九三一本中九五本以外が本件事故発生以前に腐蝕切断していたか否か、及び高津橋の破壊当時における通過可能の車両総重量について、大阪大学教授安宅勝作成の鑑定書及び同人の原審及び当審公判廷における各証言によると、本件事件当時における高津橋のケーブルの腐蝕度は裁判所保管の証拠資料から推定して五〇乃至七〇%であること、若しケーブルの素線九三一本のうち九五本のみが完全で、他はすべて切断していた状態であれば、車が通らなくても橋の自重のみで親線が切断し落橋する筈であるから、九五本以外の細鋼鉄線が本件事故発生前に切断していたとの判断は正解でないこと、本件事故発生当時における高津橋の通過可能の車両総重量を推算すれば時速約一〇粁で通過する場合は約七、八屯、時速七粁の場合は約八、三屯、時速五粁の場合は約八、五屯、〇粁の場合は約九、二屯であり、従つて制限重量を五屯とすれば、安全率は約一、六倍以上、四屯とすれば約一、九五以上となり、ほぼ妥当であることがそれぞれ認められる。現に本件事故発生前において、毎日トラツクやバスが高津橋を通過し、前記森本運転手も本件事故発生の前日にも材木約三〇石位を積載して高津橋を無事通過し本件事故発生当日の午前中空車(自重三、三三屯)で高津橋を無事通過していることから考えても、前記鑑定の正しいことを裏付ける一証左であり、従つて当時高津橋の親線北岸根幹部のケーブル線が一部土砂に埋没されて腐蝕していたとしても、まだ自然断線寸前の危険状態にあつたものではなく、ケーブル線全体としてはなお相当の張力を保持し、空車徐行を遵守する場合は勿論、多少の荷物を積んでいても安全に通過可能の状態にあつたものと認められ、結局被告人が前記腐蝕部分を発見していなかつたとしても、高津橋の安全程度に関する被告人の判断及びその措置に誤があつたものということができない。

尤も当時の高津橋の通過可能の総重量が前記鑑定のとおりとしても、重量制限を行うに当つては、安全を確保するため、右通過可能総重量よりも相当低い限度に定めるべきは当然であるが、高津橋が同地方唯一の国道上にあり、右国道以外に車馬の通行できる迂廻路も全然ない特殊事情をも考慮すれば、高津橋通過の車馬の重量を制限し、空車徐行すべきものとしていたことは相当であるといわねばならない。

なお、かねて高津橋の左右両岸に近い所に支保工を設けていたが、(吊橋が車馬の通行により下るのを一定の高さに止めるため、橋台の下に川底から木でやぐらを組んで支えることを云い、これは橋の過重を支えるものではない。)本件事故発生数日前の昭和三一年八月七日頃左岸支保工の取替を終え、その荷重制限を五屯とすることを検討していたことは、久徳潔の原審公判廷における供述記載及び昭和三一年八月一〇日附久徳潔作成十津川警察署長宛の「危険橋梁に対する車馬の通行制限に関する措置について」と題する書面(記録一一七丁)により認められ、一応応急的措置を講じていたものといえるのである。

あるいは、前記ケーブル線の腐蝕部分を早期に発見した上、これに対応する補強工事をなしておくべきであつたとの論も起り得るけれども、平地上に構築された建造物の局部的破損箇所を応急的に修理するのと異り、本件の橋は溪谷上に架けられ、溪谷川面から約一〇米の高さにおいて延長約六三米巾員二、九六米のもので、これ等の橋材の総重量は親線である七本のケーブル線に吊り上げられているもので、このケーブル線の補強工事は早急に簡単にできるものでなく、例えば、素人考えに、ケーブル線全部でなくても腐蝕部分を含む一部だけを丈夫な鋼線を継ぎ足す等の方法により応急的な補強工事ができるかというと、専門的見地からすれば、ほとんど不可能で、ケーブル線全部を取替えなければ効果がなく、従つて相当多額の工事費を要するため財政上早急にできるものでなく、(証人安宅勝、同村上元男及び被告人の当審公判廷における各供述)被告人らとしても従来しばしば県当局に対し高津橋の早期架換及び補修方を具申し、昭和三二年度から架換工事着工の運びになつていたものであり、本件事故発生当時の高津橋の通過可能総重量が前記鑑定のとおりである以上、本件事故発生前にケーブル線の補強工事がされていなかつたことについて、被告人に過失の責任を負わせることは酷に失するものと思われる。

ところで、空車徐行の交通制限が実施されると、普通自動車やバスの場合には、その実施にさほどの困難を伴わないとしても、貨物自動車の場合には(同地方は土地柄材木運搬のトラツクの通行が多い。)橋の手前で一旦停車し、積荷を下して空車のままで徐行して橋を渡り、しかる後荷物を少し宛運んで、また自動車に積込まねばならぬため、多大の不便を生じ、果して空車徐行制限が遵守されるか否か、相当の疑問があるものと思われるが、前記の如く空車徐行の重量制限がしてあつても、なお相当の余力を見込んであり、当時の通過可能総重量が前記鑑定のとおりである以上、たとえ多少の荷物を積んでいても、安全に通過可能の状態であつたと認められるところ、本件においては、森本運転手がかねて右国道を往復して材木運搬の業務に従事し、高津橋の危険状態及び空車徐行制限実施の事実を知りながら、これを無視し、最大積載量五屯のトラツク(自重三、三三屯)に七、九五屯の材木を満載し、且つ同乗の助手ら三名をも橋の手前で下車させずに、橋の制限重量をはるかに超える総重量一一屯余を以て無法にも高津橋を渡ろうとしたため、その過重のためケーブル線が切断して落橋するに至つたものであり、また当時空車徐行の標識が標柱からもぎ取られていたとしても、同運転手としてはその制限が解除されたか否かを考えずに無視して渡つたもので、若し空車徐行の標識が目についても、材木を降して空車にして渡ることもならず、そのまま渡つている旨供述しているところからみても(同人の原審公判廷における供述記載、記録二六一丁、二六二丁参照)当時前記標識がもぎ取られていたことが、森本をして積荷のまま通過させて、本件事故発生の一因を与えたという非難は当を得ないものといわねばならぬ。

あるいは、空車徐行制限が必ずしも遵守されていない実情にあるから、右交通制限を周知徹底させて協力方を要請指導するため、係員を高津橋のたもとに常駐させ、または警察にその取締方を依頼して、一々トラツクを監視していたならば、本件の如き事故発生を防止し得たものといえるけれども、右交通制限を受ける自動車運転手においても、安全を図るため業務上の注意義務を負つている人で、敢て危険を冒す暴挙に出ないことを期待し得られるから、前記鑑定の如き高津橋の危険程度を以てしては、被告人らに右のような監視取締の注意義務を負わせることは酷に失するものと思われる。

これを要するに、本件事故は偏に森本運転手が空車徐行制限を無視し、無法にも一一屯余の総重量を以て高津橋の通行を敢行したことに基因するもので、被告人の過失が本件事故の一因をなしたものと認めるに足る証拠が十分でないものといわねばならぬ。

従つて被告人にも業務上過失があることを認め、有罪の判決を言渡した原判決は破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三九七条第四〇〇条但書の規定に従い、次のとおり判決する。

被告人に対する本件公訴事実の要旨は、「被告人杉田好文は奈良県技術吏員で、同県土木部十津川土木出張所工務課に所属し、昭和三〇年八月頃より上野地方面担当主任として、上司の監督の下に、受持区域内における河川、道路及び橋梁等の土木設計施行監督並びにこれらの保全業務に従事していた者で、自動車運転者森本京二は昭和三一年八月六日頃より同県吉野郡十津川村大字折立木材業丸谷辰雄方自家用貨物自動車の運転者に就職し、爾来同車に木材を満載して右丸谷方より同県五条町方面所在の木材市場に向け新宮大和高田間二級国道第一六八号線を日々往復して木材運搬の業務に従事していた者であるが、同県吉野郡十津川村大字高津通称高尾谷の溪流上に架設せられた前記国道の一部を成す高津橋が、昭和二年七月竣工以来約三〇年の歳月を経た鋼線ケーブルを親線とし、その張力により橋重を支える吊橋でその親線の両根幹部は長年月の間に土砂の自然流出等により一部埋没を生じており、最近は諸車が通過する都度その振動によりややもすれば陥落し兼ねない危険な状況になつたため、昭和三〇年一二月頃より所轄十津川土木出張所において負荷総重量四屯と重量制限し、橋の両袂には奈良県名義の空車徐行標示柱を掲出して交通制限を実施し、通行車馬に対しその遵守を求め、同吊橋の保全に留意していたところ、被告人杉田は前記職務に基き、定期又は随時に担当区域内にある同吊橋を巡視して、吊線及び橋桁は勿論のこと、親線にありても外観以外に土砂埋没地点において腐蝕切断など破損箇所の早期発見に努め、吊橋の保全に遺漏のないよう留意すると共に、一般通行車馬に対し同吊橋が空車徐行の重量制限実施中なる事実を告知する標札の掲出に万全を期すべき業務上の注意義務があるにかかわらず、これを怠り、巡視時には外観のみにより吊橋の安全を軽信し、親線北岸根幹部メインケーブル線の約四米土砂に埋没した部分において、ケーブル形成の細鋼鉄線が腐蝕し自然断線寸前の危険な状態にあることを看過するとともに、漫然巡視して前記「空車徐行」の重量制限標札が従前紛失したのを放置していたため、危険発生のおそれある吊橋上を制限違反積荷車馬に通行の余地を与える結果を招き、昭和三一年八月一一日自動車運転者森本京二が最大積載量五屯の貨物自動車に杉檜丸太三〇余石七屯九五〇粁を積載し、助手森本英市、同小林昭音並びに実弟森本由三の三名を助手席及び屋根上に同乗させて、同村折立を出発北進し、同日午後三時二〇分頃前記高津橋を通過するに当り、従前より「空車徐行」の重量制限が実施されていることを知悉しているのであるから、一旦停車して積荷自動車安全通過の可否を確認した上進行するか、あるいは同乗の三名を降車させて徒歩渡橋させると共に、空車徐行の制限を遵守して吊橋の保全に協力し、落橋による自動車事故などの発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにかかわらず、これを怠り、同橋重量制限は勿論のこと、自動車の最大積載量を約三屯超過した積荷のまま同橋上を進行し、かくて被告人杉田及び前記森本運転手の共同過失により、前記貨物自動車が同吊橋上を約一〇米進行した時、同橋親線が自動車の重量に耐えることができず、前記ケーブル線根幹部の腐蝕地点にて断線したため、瞬間吊橋と共に自動車が高さ約一〇米の溪谷内に転落し、自動車に同乗していた前記助手森本英市に対し治療約六ヶ月を要する左右肋骨五本及び第一〇、一一胸椎骨骨折並びに左側頭部挫創の傷害を負わせ、同小林昭音に対し開放性頭蓋骨骨折の傷害を負わせて同日午後五時二〇分附近中島医院において死亡させ、森本由三に対し頭部第四度外傷、右手背挫創及び四肢擦過傷を負わせて同月一三日正午過同病院において死亡させたものである。」

というにあるけれども、前記説示の如き理由により、被告人の過失を認めるに足る証拠が十分でないから、刑事訴訟法第三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をなすべきものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 児島謙二 畠山成伸 本間末吉)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例